あと多分これも計算社会科学で国際学会とかジャーナル出したい人にとって重要なtipsかもしれないですが、 日本のデータを分析している場合「なんで日本なの?」と聞かれやすいです。 これは基本ネガティブな問いで、1.「日本のデータからの示唆なんて一般性ないじゃん」2.「そもそも日本の事情を当然のように語るのやめてくれ。「自民党」とか知らないから」みたいなニュアンスです。 (1について社会科学系で一般的な問いのようで、アメリカ在住の日本人の教授の方も、査読で突っ込まれたと呟いてました。その投稿は引用しませんが。) これの対処はいくつかあると思ってて、 1. 日本以外のデータも分析して一般性をよりロバストにする(かなりよいアプローチ。ただデータ集めるの一苦労) 2. 日本の事例調べても一般性失われないよとロジカルに説明する(チャレンジとしてはいいが事例によってはキツい。特に査読ですでに突っ込まれていて、そこからリバッタルするとかは厳しめ) 3. 「確かに一般性はわからないけど、日本だからこそ発生した面白い事例なので掲載の価値あるよ」的な主張をする 私は3が好きでした。頭の使い方として面白かったですし、あと他国のデータ集めを頑張らなくていいのでコスパもよかった。 この3を知ったのは、イタリアのケースでそういう主張してる論文を読んだからで、実際に感銘受けたのでそこからあえて真似して論文書いてみるトライアルをやり、実際良さげな学会に通りました。 (私がそのときやったのは、「歴代首相の交代前後のセンチメント変化分析」で、理由としては「Twitterが始まってからこんなにリーダーが交代した国は日本くらい」というロジックでした。このロジックが全てではないですが、査読の評価はかなり高く、学会現地でもそこが面白いと言ってもらえてよかったです) まあそれでも日本の事情をちゃんとわかりやすく説明することは重要だと思います。 先日参加した学会を見ると、日本の事例を扱ってるケースが多く、それを「国際学会・ジャーナルまで持っていきたい」と思ってる人はどこかでぶち当たる問いなのかもなと思って書きました。(あくまで一意見です)
まあ日本かどうかも含めてですが、 とにかくその学会、ジャーナルの「文脈」に合わせることは大事だと思います。 (それもあって、リサーチ=論文読みまくることが大事なのですが) データドリブンな分析でも、最後は社会科学の文脈の中にちゃんと位置づけてあげることが、国際学会・ジャーナルにおいては大事な気がします。 (最近は最近ジャニーズ関連のXデータを用いた論文を書いたのですが、それも「沈黙の螺旋」という社会科学の概念の文脈に沿って論じるようにしました) こういう「文脈に沿わせる」ことをしないと、極論「それブログでよくない?」となってしまうとよく思ってました。